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2021/9/3 わかってくれとは言わないが、そんなにSUGAが悪いのか [考える]

酔って記事を書くと後で読み直して後悔することが多いのですが、注意しながら書きます。
今日、菅総理が次期総裁選に出馬しないと表明しました。
政治に関しては、人それぞれの想いがあると思いますし、それが尊重されるのが民主主義ですから、これはあくまで個人の独り言です。
管さんは、私の印象では、真面目で正直な方です。
管さんの前に長い間、総理大臣をしていた方は嘘つきのペテン師です。
嘘つきであることが政治家の必要条件であれば、管さんは政治家として欠陥があったのかもしれません。
でも私は政治家は正直であるべきだと思います。

新型コロナウイルスが世界中で猛威を奮っています。
パンデミックを収束させない限り、コロナ前の世界は戻ってこないでしょう。
世界の国々がコロナを克服しているのに、日本だけが遅れているのであれば、日本政府の失政でしょう。
しかし、そうではありません。
誰か他の人が総理になったら、もっとよい結果になっていたと言えるでしょうか?

総裁選に立候補を表明した岸田さんの会見では、ご自分の政策を述べていて評価できると思いました。
一方、野党の多くは自民党の批判ばかりで、自らの政策については具体的なビジョンを表明していません。
特に立憲民主党の女性議員は、汚い言葉で管総理や自民党を非難することに終始しています。
「女らしくしなさい」は時代遅れとしても、聞いていて不快になります。
メディアに向かって発言するなら、せめて小池百合子さんぐらいの礼節は持っていただきたいです。

歌詞全体は全然ミスマッチなのですが、「わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」というフレーズが思い出されたので、書いてみました。

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2021/8/28 死はこわくない? [考える]

前回の記事に書けばよかったのですが、考えがうまくまとまらなくて。。

「死」はこわいというよりも、世の中との繋がりが永久に絶たれるということが悲しいのだと思います。
勉強したり働いたりするのも未来の生活を豊かにするためです。未来がなかったら苦労する意味がありません。

さて、死んだらどうなると思いますか?

魂が身体から離れて、黄泉の国にいくと思いますか?
それとも魂なんかなくて無になると思いますか?

立花さんの本の第3章にも書かれていましたが、私たちが生きていると感じるのは「意識」があるからです。眠っている時には意識がありませんが、その時には生きていると感じられません。
では「意識」とはなんでしょうか? 魂に近いものでしょうか?

ある脳科学者は「意識」は脳の神経細胞の複雑なネットワークによって作られていると考えています。
それが解明されれば、コンピュータに意識を持たせることもできるかもしれません。
だとすると、死によって脳細胞は死んでしまいますので、意識もなくなり、魂も存在しないと考えられます。

死後の世界があるという考え方は人間にとってある意味、救いであり、多くの宗教はそのように説いています。

どっちの考えが正しいか論争することはナンセンスです。
それぞれ自分の考えに従って生きていけばよいのです。
答えは死んでみないとわかりません。
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2021/8/15 終戦の日 [考える]

新型コロナウイルスが猛威をふるっています。
しかし、今の状況は少なくとも戦争よりはましだと思います。
戦後76年が経ち、国民の多くは戦争を経験していません。
亡くなった両親や戦争を経験した人の話を聞くと誰もが
「戦争は辛かった。絶対に二度としてはいけない」
と言っていました。

今は酒を飲みながらテレビニュースを見て政府のコロナ対策がなっとらんとか言いたい放題言えるし、若者は緊急事態宣言を無視して渋谷に遊びに行くこともできます。
でも戦争になったら、自由は奪われ、命の危険も今とは桁違いに高まります。
「戦争を知らない子供たち」の子供たちにはそのことが伝わっていないような気がします。
以前、終戦の日には「火垂るの墓」や「はだしのゲン」を放送していましたが、今日は、NHKの番組表を見ても、終戦の日関連の番組は、11:55〜12.10 戦没者追悼式、21:00〜22:00 NHKスペシャル「開戦 太平洋戦争〜日中米英 知られざる攻防〜」(←今夜見ます)だけです。
新型コロナウイルスも大事ですが、戦争について考える機会もなくしてはいけないと思います。

yakibaのコピー.jpg
少し前に話題になった写真ですが、8月9日の長崎原爆投下の日にテレビで解説していました。
死んだ弟を背負って焼き場にきて、順番を待っているところをアメリカ軍のカメラマンが撮影したのだそうです。
この時、この少年だけでなく戦争で家族を失った人々は、悲しんだり呆然としたりする余裕もなく、自分がこれからどうやって生きていくかを必死で考えなければなりませんでした。この写真の少年の表情からそれが見て取れます。
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