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2021/8/6 いつか必ず来るその日 [悼む]

2021年8月6日、ついに母が旅立ちました。
89歳。年齢的には十分に長生きしましたが、発病してからの7年間は辛かっただろうと思います。
母の病気が発病したのは2014年。
片方の上肢の筋力低下が始まりでした。
医師の診断はパーキンソン病でした。
そして薬物治療を開始しましたが、症状は改善することなく、ゆっくりと進行しました。
パーキンソン病の診断基準の一つに治療薬に反応するというものがありますが、母の場合は薬が全く効きませんでした。またパーキンソン病の特徴とされる振戦はみられませんでした。
一方、認知症はみられず、最後まで理解は良好でした。
手足の筋力低下は少しずつ確実に進行し、2018年に歩行不能となり、長期療養のため入院しました。
嚥下障害もみられ、鼻から胃に管を入れて栄養しました。
胃瘻を勧められましたが、母は胃瘻は希望せず、最後まで鼻腔からの経管栄養を続けました。
声がだんだん小さくなり、聴き取りにくくなりました。
新型コロナウイルスが流行すると直接面会することができなくなり、予約制のガラス越し面会となりました。思うように会話ができないので、面会してもこちらから一方的に話したり、ひ孫の写真を見せたりして、あとは見つめ合うだけでした。
2021年1月、さらに脳梗塞を併発し、言葉が出なくなりました。
こちらの言うことは分かるのですが、自分の言いたいことを言えないのです。
そんな状態が半年続き、7月12日、肺炎を起こし、危険な状態になりました。
死期が近いということで直接の面会が許されました。
酸素吸入しながらうとうとしたり目を開けたりしていましたが、目を開けているときにはしっかり目線を合わせることができていました。
もうだめかと思ったのですが、低空飛行のまま一進一退を繰り返しました。
そして8月6日、広島原爆投下の日、息を引き取りました。

そんな経過だったので、やっと苦しみから解放されて楽になったね、と家族としてもほっとした気持ちでした。

病名ははっきりしないままでした。解剖すれば何か分かったかもしれませんが、生前に解剖はされたくないと言っていたので、故人の遺志を尊重しました。
・体の一部から始まりゆっくりと全身に広がる筋力低下
・認知障害はない
・嚥下障害を認めるが、人工呼吸を必要とする呼吸不全は発症7年までは認めなかった

コロナ禍であり、葬儀は家族葬としました。故人の生きている兄弟は4人いて、私のいとこにあたる親戚もたくさんいるのですが、集まるのはやめました。とても簡素な葬儀でした。

いつか必ず来るその日。
リリーフランキーの「東京タワー」という小説で、胃癌で亡くなった母のことを書いています。

そして父母が他界した今となっては、次にその日が来るのは順番的には私です。
いつか必ず来るその日まで平穏に過ごせるとよいのですが。。

次女Y子さんの小料理。ビールによく合います。
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悪魔の壺もやし

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カルボナーラうどん
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2020/5/8 鄧麗君(テレサテン)没後25年 [悼む]

今日は歌姫 テレサテンの命日です。
彼女は中国本土から台湾に移り住んだ両親のもと、台湾で1953年に生まれました。
台湾で人気歌手になりましたが、そこに目をつけた日本のレコード会社によって日本でデビューすることになります。三木たかしの作曲による多くのヒット曲があります。
彼女の夢だった中国本土での初めてのコンサートは天安門事件により中止になりました。
その後、タイで気管支喘息により42歳という若さで衝撃的にその生涯を終えました。
中国語で歌う「何日君再来」「夜来香」。
どちらもカバー曲ですが、中国語で歌う彼女の歌声を聴くと、日本に来たことが幸せだったのかと考えてしまいます。



本日21:00から、BS-TBSでテレサテンの特集番組があります。
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2017/6/18 告別式 [悼む]

告別式は、なかなか参列できなかったのですが、今回は日曜日でしたので、参列させていただきました。
仏教では「来世」、キリスト教では「天国」という概念があり、先に亡くなった人と再会して幸せに暮らすことになっています。
少なくとも私の頭の中では、人間はデオキシリボ核酸という設計図でコードされた蛋白質のかたまりです。ちなみに蛋白質以外の構成成分は、人間という形を保持して生きるために、蛋白質(酵素)の作用で作られた、支持組織です。
蛋白質のかたまりが、考えたり、怒ったり、泣いたりする機序はまだ解明されていませんが、「魂」などという非科学的な概念はあり得ないと思っています。
ということで、今日、思ったことは、現世こそ人生のすべてであることを理解して、仲良く、幸せに暮らすことこそがいい人生だということです。
現世に失望し、来世に期待するというような宗教的な考えは時代錯誤ではないでしょうか。
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