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2014/2/2 義理父の想い出 [悼む]

普段、新聞は隅々まで読まないのですが、今日は暇だったので、めずらしく熟読しました。
朝日新聞朝刊の「入試に出た朝日新聞」というコーナーです。

【次の文を読み、後の問題に答えなさい】
 冬のライチョウを探して北アルプスの立山を歩いたことがある。25年ほど前、ようやく見つけた姿は神々しいばかりに白かった。
【問題】文中から、次の①と②にあてはまる語句を、指定した字数で抜き出しなさい。
①やっとのことで(4文字) ②気高くおごそかであるさま(4文字)

②の答は「神々しい」ですが、この言葉で昨年、89歳で亡くなった義理父を思いだしました。

念のため、「神々しい」は「かみがみしい」ではなく「こうごうしい」と読みます。

義理父は、大正生まれで太平洋戦争前に軍国主義の教育を受け、軍人になろうとして終戦で兵役を免れた人です。
戦争については、あまり語りませんでしたが、天皇陛下を深く崇拝していて、伊勢神宮に参拝したいと言っていました。

私もそうですが、歳を取ってくるとあれしたい、どこへ行きたいと口では言ってみても、行動に移すのがおっくうになってきます。

私も今より若かったある時、義父にいっしょに伊勢神宮にお参りしませんかと話したところ、とても喜んで、二人で旅行しました。
秋田から東京までは一人で出てきて、東京駅の新幹線ホームで待ち合わせして、伊勢へと向かいました。伊勢の旅館に2泊し、伊勢神宮の内宮に参拝しました。
そのとき、義父はすごく感激して「神々しいなあ」とつぶやいたのです。

まわり観光客は普段着でしたが、私と義父はスーツにネクタイ。
せっかく三重まで来たのに、志摩へも外宮にも行かず、天照大御神だけお参りして帰りました。

天皇が象徴となった日本国憲法下で教育を受けた私には義父の気持ちが理解できませんでしたが、参拝を終えて満足した義父の顔をみて、来てよかったと思いました。

残念ながら私はまだ「神々しい」と心から思った経験はありません。

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2013/4/7 お葬式 [悼む]

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

有名な平家物語の冒頭部分。
中学か高校で、暗唱させられたのですが、私の記憶は、「唯春の夜の夢のごとし」で終わっていました。
偏に(ひとえに)…読めなかったので。

お葬式に行くと思い出します。

信仰心のない私にとって、お葬式というのは故人のためではなく、そこに集まった生きている人たちのためのセレモニーです。
そこに集まった人たちは、あらためて、自分の命は永遠ではなく、限りあるものであり、いずれ自分にも「死」が確実に訪れるということを再認識します。
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2013/4/2 義父の臨終 [悼む]

義父が今朝、亡くなりました。
89歳で、年齢としては申し分ない長生きでした。
病状が悪化してから、2週間程度でしたが、病院への入院を拒まれ、在宅で介護保険はあるものの、84歳の妻の看病でがんばった最期の闘病生活でした。
かなり頑固な人で、入院しても、看護師に「家に帰る」と怒鳴りつけ、自宅で最期まで過ごしました。
本人の苦痛も大変なものだったでしょうけど、看病する高齢の妻の苦労も大変だったと思います。

家の畳の上で死んだわけですが、家で死ぬのは楽じゃないです。

地方ということもあって、首都圏の感覚では理解できないのですが、
家族が入院を希望しても、「今、動かしたら途中で死んじゃう」とか、夜中に死んでも朝6時までは病院に連絡するな(寝てる医者を起こすな)とか、ローカル・ルールがありまして。

私は仕事上、見舞いにも行けなかったので、偉そうなことはいえないのですが。

死ぬのも、死を看取るのも楽じゃない、というのが実感です。

地方には地方の医療の問題があるわけで、ある笑い話。
「救急車が、病院に受け入れを要請したら、50か所の病院から断られた」
それを聞いた地方の人が、
「へえ、東京には50も病院があるんですか?」

妻は昨日の朝、戻ってきて、今夜また実家へと向かいました。
実家が遠いというのは、親が元気なうちは楽しみでもあるのですが、病気になったときは、大変です。
私の親は2時間弱のところに住んでいるので、その点では困りませんが。

ふるさと。。。。
妻にはあり、私にはない光景。
寝台特急あけぼのに乗って、ふるさとへ向かっている。
中島みゆき、ホームにて。
30年以上前の曲ですけど。

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